ねぇ、くるみ

猫と犬が好きです

じゃよ。

「あなたにわたしの何が分かるのよ!」

ーーーとはよく言ったもので、本当にその通りだ。自分の気持ちは他人には絶対に理解できないし、他人の気持ちは自分には絶対に理解できない。女子によくある「わかるわかるー」というのは、本当に分かっているのではなく、似たような気持ちになったことがある、もしくは分かったような気になっているだけである。

心理学を少し齧った時、カウンセラーはクライエントに「共感する」とよく言われるが、あれはクライエントの話から主観的に追体験しようと試みているのであると知った。つまりは、気持ちが分かっているわけでもないし、分かろうと努力するだけでも非常に困難を要するということなのである。

日常で生活していると、ついそのことを忘れてしまって、まるで周りの人間がエスパーであるかのように自分の気持ちを慮ることを求めてしまうが、例え分かろうとされたところで、完全に分かる事などなく、だからこそ自分が一番自分の気持ちを大切にしてやらねばならないのである。

ツイッターなどで、よく自分の存在を軽んじられて怒っている人の話を目にするし、実際に自分もよくそうなってしまうのだが、自分の価値とは本来自分しか認められないものであり、国民栄誉賞を受賞しようが、生活保護を受けようが、幸せな人は幸せだし、不幸せな人は不幸せなのである。それは、お金どうこうの話ではなく、単に本人がどう感じているのかというだけの問題である。どんなに経済的に困窮していても、幸せであると感じていれば幸せだし、どんなにお金持ちでも、不幸だと感じていれば不幸だ。それは、周りが決めることではなく、自分が決めることである。よく、周りと比べて自分が幸せかどうかを天秤にかけることがあるが、本来それは真っ当な方法ではなく、世界にたったひとりだとしても、幸せを感じることは可能なのだと思う。

だから、わたしの気持ちは夫にも、家族にも、親友にも、誰にも分からない。私も、彼らの気持ちを理解することは一生できない。だからこそ、大切にしていかなければならない。この世で会える幸せを噛み締めて、感謝しなければならない。会いたい人に会えぬ人など山ほどいる。後悔してる人だって。彼らが教えてくれている。今を大切にしなさい、と。過去でも、未来でもなく、今を生きるのじゃ。今の自分を、ひしひしと感じながら、大切に生きるのじゃよ。

打ち上げ花火、何処からみるか?

衣装合わせに行ってきた。

人生初のウェディングドレス(白無垢はこの間着ていたので)。鏡の中の自分を見て、(あぁ…この子は嫁さいってしまうんだべな…)と思って何故か自分が泣きそうになる(笑)。

なんだろうね、あれ。兄の結婚式でも、お嫁さんがチャペルに入場してきた時自然と涙が出てきたもんな。なんなんだろうね。

結局、白無垢もウェディングドレスも着ることにした。うふふ♡贅沢。人生一度っきりだからね。好きなの着たいのだ


某打ち上げ花火観てきたけどね、あれね、まじで評価悪いね(笑)。評価見ないで行ったのね。公開2日目なのにガラガラで。まー田舎だから〜と思ってたけど、前評判が悪かったのね。知らんかったわ。

でも、観に行かない方がいいね(笑)。どうしても気になるなら、DVDになるまで待って借りる方がいい。まず意味が分からない。考察を読んでも分からない。私の読解力がないのか?いや、そんなことはないはず(笑)(国語は成績が良かったので)。

あれを完璧に説明してくれる人がいたら教えてくれ(笑)。すっごいもやもやする(笑)。ヒロインが可愛かったらまだ許せたけどな。ビッチは好きじゃないんだ(笑)。

岩井俊二とシャフトが好きだったもんで、期待し過ぎたかな。うーむ。原作を観る気にもならねぇ。残念ですた。


今日は2時間立ちっぱで着せ替え人形になったので疲れたよう。元々好みは似てるんだけど、一生に一度のことやから母親の好きなやつ着てやろうって気になった。帰りは疲れて機嫌悪くなっちゃったけど(笑)。抑肝散持ち歩かんといかんね。自己管理よ。

おやすみー

野田あすかちゃん

発達障害のあるピアニスト。
多分年上なんだけど親しみを込めて「ちゃん」(笑)。だってかわいいんだもん。
彼女知的障害は無いんだけど、見た目すごく幼いんだよね。行動とか。
私は金スマを見たんだけど、番組のスタッフが家を尋ねると、猫のフリをしてテーブルの下に隠れてるんだよ。普通、成人女性はしないよね。
じゃあ何故やるのかっていうと、発達障害の二次障害として発症した解離性障害の影響ではないかと言われているの。彼女は頭のいい国立大学も出ているし、先述のとおり知的障害はないはず。でも、彼女が発達障害と診断されたのは20歳を過ぎてからだったから、それまでかなり無理をして過ごしてきたはずなのよね。それが原因で発症したと。私も、自分が診断されておきながら解離性障害のことあんまりよく分かっていないんだけど、彼女の幼い側面は解離性障害が原因なんだと。逆に言うと、幼い行動をすることで、彼女は自分自身を守ってきたのかもしれない。私はそう感じました。多重人格(解離性人格障害)とはちょっと違うけど…彼女が昔そう振る舞った時に、嫌なシーンを回避できた経験があるのではないかな。彼女はそれを学習して、幼い自分を無意識に演じている。私の推測だけどね。
何故こんな話をしたかっていうと、まず単純に彼女のピアノに感動したっていうのと、もう一つは自分にも思い当たる節があったからです。私もとっくに成人はしているけれども、自分から見ても幼いと思う行動があります。でも、やっぱり年相応ではないと思って抑えているの。夫の前では、最初ものすごく格好つけてました(今はだいぶバレていると思うけど)。私の中では、それが一番自然体なんですね。目に付いたものに飛びついて、興味の対象がどんどん変わって、好きなことしか覚えていない。でも、私の家には、自分より精神年齢の低い大人がいたので、幼い頃から自然体でいることが難しかったんだと思います。
だから、今でも気を抜くと幼い行動が出ちゃう。だいぶ、社会的に抑制はされているけど(これでも)、ちょっと気を許しちゃったり、この人なら大丈夫って思うと、自然体の自分が出ちゃうのね。
そういう時は、後から嫌な思いしたかもな、とか、びっくりしたかもな、と反省するんだけど、まだまだ幼い自分が消化できていなくて、心の奥でもぞもぞしてるんだと思う。
一人の時間の時に思い切り退行できたらいいんだけど、私が一人の時は自分の面倒を見なければいけないので、完全にOFFることはできないのです。…分かるかしら。
自分がしっかりしてないと、誰も守ってくれないからね。でも、信頼している誰かが側にいると、ぴょろっと幼い自分が顔を出します。「ここならいいでしょ!」ってね。私もその時は判断が甘くなって、「いいよ」って言っちゃうんだけど。甘えてるんでしょうね。その人に。
だから夫とかには、色んな形で甘えが出ちゃうからいつも迷惑かけてすまんなって思います。でも、ツイッターとか見てると、甘えても「大丈夫」って言ってくれる人がいると、だんだん幼い自分が消えてくみたいね。いい意味でね。本当は小さい頃に消化されているべきものが、夫婦関係の中で消化された、みたいな。
私が子どもを持つのはまだ先かな(笑)。自分の中の子どもが、「大丈夫だよ」って言ってくれないと。それまでは、自分をしっかり甘やかそうと思います。

ほんとうのきもち

ほんとうはね、もっと会いたいよ。

ずっと一緒に居たいし、たくさんハグもしたい。

お外で手を繋いだり、こっそりキスをしたりしたい。

一日中お布団に潜り込んで、ふたりで眠っていたい。


でも、あなたの意思も尊重したい。

お互いにオタクだから、一人の時間も必要だと思う。

夢や目標に向かってがんばるために、しばらく離れてなきゃいけないのも分かる。

あなたが自分ひとりではなくて、私や未来のためにお金を稼いでくれてるのも嬉しい。

今の私は、戦力になれないから。

理想と現実って難しいよね。頭では分かってても、心では納得できなかったりする。

お金がた〜〜〜っくさんあって、ずうっとふたりでいられたらいいのにって思うよね。

でも、そうなったらすぐに飽きちゃうかもね。

ふたりでいられないから、会いたいと思う。ずっとふたりでいられないから、大事にしようと思う。失くしてからじゃ遅いからね。そういうもんなんだろうね。

早く一緒に暮らしたいね。落ち着いたら、子どもも欲しいね。私は、引っ越しても続けられるような在宅の仕事がいいなぁ。ウェブデザイナーとか?(笑)それとも、少しは外に出た方がいいかなぁ。

働くことも、働かないことも、どちらもメリットとデメリットがあるよね。人に会うのも、会わないのも、どちらもメリットとデメリットがある。でも、リスクを恐れて会わないっていうのは勿体無いかな。もう少し元気になったらね。会いたい人にも会いにいこうかな。

早くあなたに会いたいな。早く帰ってこないかな。

センチメンタルジャーニー

この間、久しぶりに夫の家へ行った。夫の家は小さいので、最近はもっぱら私の家に集まっていた。でも、私が夫の家の近くの花火大会に浴衣を着ていきたい!と申し出たので、急遽泊まることになったのだ。
何ヶ月ぶりだったろうか。久々の夫の家は少し緊張した。妻になってから来るのは初めてだったのだ。前は、トイレへ行くのさえ躊躇われたものだ。夫は休みのほとんどを私の家で過ごしていたので、家事をやる暇がほとんどなかったようだ。代わりに、できるところだけ自分がやって帰ることにした。汗だくになったが、自分がいるところが綺麗になるのは気持ちのいいことだ。夫にも、申し訳ないことをした。夫は、私が申し出を断られるとはぶてる(注:「拗ねる」の意)のを知っているから、一人で休みたいと言えなかったのかもしれない。最近、実家に住むようになってから、今度の休みは一人で過ごしたら?と言えるようになってきた。彼はずっと、大変だったろうな、と思った。
私と夫は交換日記をしていたのだが、最近はずっと夫で止まっていた。それを久しぶりに見た。自分の文書が、もうずっと前に書かれたようなものに思えた。実際は、今年に入ってから始めたのに、もう何年も前に書いたように思う。正直、ここ最近記憶の整理の苦手さに拍車がかかっているような気がするのだ。昔から、人が覚えているのに自分は覚えていない、ということはあったが、最近の記憶まで曖昧になることはなかった。まぁ、私にとって働いていた頃の記憶は、あまり思い出したくないものだろうから、脳みそがわざとモザイクをかけているのかもしれない。思い出さないと困るものは困るが、困らないものはそのままでいいのかもしれない。
でも、夫との思い出が消えていくのは怖い。ここ行ったっけ?それいつの話?っていう会話を、20代でするとは思わなかった。若年性認知症というものがある。それにはなりたくないなぁ、と思う。
半年間も夫に会わなかったら、顔を忘れるかもしれない。写真をたくさん撮って、時々見返さないと。声を忘れないように、時々電話しないと。感触を忘れないように、時々会いに行かないと。
でも、一人で飛行機に乗れるかな。都会を一人で歩けるだろうか。ホテルに一人で泊まれるだろうか。
今日はなんだかセンチメンタルな気分だ。そういう気持ちに浸りたい日なのかもしれない。

分かる人には分かるって散々書いてきたけど

他人に自分のことなんか分からないんだよね。病気のことも、それ以外も。その人と似た立場にならないと分からない。私は睡眠障害解離性障害と診断されて休職している。だから、少しは休職している人の気持ちが分かるようになったと思う。でも、その前は普通に働いていたから、働いている人の気持ちも分かる。今回のことで、私は気持ちが少し理解できる人が増えたってことだ。私が今回の経験を言うことで、実は私も…って言いやすくなる友だちもいるかもしれない。少なくとも、そんな友だちに対して、ひどいことを言わずに済むと思う。大事なのは、自分を正義だと思わないこと。自分を正義だと思うと、それ以外の人は敵になっちゃう。同じ意見じゃないと、味方じゃないってなっちゃう。そうじゃないんだよ。他人なんだから、色んな意見がいて当たり前なんだよ。自分だって、人と意見や考えが違ってて良いんだよ。正義は悪だ。

考えたよん

今日はなんだか落ち着いてるよ〜。昨日、ちゃんと夫と連絡取れたしね。不安定な時は、人(主に母)から何か言われると、うるさい!ってなっちゃうんだけど、今はとりあえず一旦受け入れて、余裕があれば試してみて、気に入れば続けるって選択ができてる。ホルモンの量にもよるのかね。生理が終わった直後ってスッキリするよね。落ち込んでる時は余裕もないので、アドバイスとかまず受け入れられません。でも、後から気が向いた時にやってみると、意外といいじゃん!ってなったりして、実践しなかったことを後悔することがよくあるのよね。今みたいに、余裕がある時はとりあえず一旦人から言われたことを受け入れてみるっていいかも。やってみないと分かんないしね。そんでダメだったらやめればいいし。嫌なのに続ける必要もないし。気が乗らなければ受け入れるだけ受け入れて、実践しなくてもいいのよ。私は、人が思い通りに私を動かすことを目的としているように思う時があるのだけど、あんまりそういう人っていないし、万が一それが目的だったとしても、私が他人の欲求を満たす責任はないんだよね。それで不満をぶつけられたとしても、お門違いだし。みたいなことを考えたよん。