ねぇ、くるみ

猫と犬が好きです

考えました

なるほど。


私は特殊な父親のもとで育ったから、人に妥当な金銭を要求すると怒られる(少なくとも、機嫌が悪くなったり、はぐらかされたりする)と思っているのか。

だから、最近の諸々の支払いが遅れていることにあそこまで腹を立てたのか。

本当は、怒っているというより、怒られるのが怖かったんだな。


顔合わせの件も、自分の父親や母親の機嫌を損ねるのが一番怖かったんだと思う。結果的に父親は大丈夫だったけど、母親は部分的にちょっと怒っていた。でも、母親がそういうことに関して全く怒らない人だったらどうだろう?私はあそこまで怒っただろうか?


確かに、自分の中の基準と比べて違和感を覚えたから怒った。でもやっぱりその基準は、大多数や影響力のある近しい人に反対されると、もろく崩れ去るものなのだと思う。


例えば無人島で二人きりで生活していたならば、この間のことは全く気にならなかっただろう。周りに人がいるからこそ、摩擦が生じて苦しいんじゃないか?


でも、一生に一度のことだから、私の家族(の文化)に合わせて欲しかったのも本音。何が正しいか、というのは置いておいて、妻になる人の家族なのだから、気を遣って欲しかったんだろう。


やっぱり夫には母親に嫌われるよりは好かれて欲しい。以前板挟みになって、悲しい思いをしたことがあるから。




怒ることで彼に嫌われるのは怖かったけど、もやもやを抑え込んだまま一緒になりたくはなかった。母の二の舞になるから。


確かに惚れたのは私だけど、惚れた弱みにつけ込まれるのは嫌だ。しかし、惚れた相手だからこそ、見返りがなくとも何かしてやりたい、力になりたいと思うのも事実だ。


要はバランスなんだろうな。今私はそれを学んでいる最中だから、きっとまだ分からないんだろう。でも私は、恋人から無償の愛というのを学んだから、子どもが生まれたりすることで愛に対する理解が深まっていくんだと思う。



分ける

結婚は、家と家同士のつながりだというけど、

それぞれ文化が違うから、板挟みになるのは嫌いだ。


たまに自分の考えなのか、家の(父か母の)考えなのか分からなくなる。まぁ、そこで育ってるから基準になって当然だけど。


家を離れたらマシになるかな。人の考えに振り回されるのは疲れる。


「あなたはそうなのね。私は違うけど」って、心の中だけでも、分ける練習をしよう

恋人へ

この間はお疲れ様。


苦手なお酒も飲んでくれてありがとう。


しっかり挨拶してくれてありがとう。


色々トラブルはあったけど、がんばってくれて、嬉しかったです。



あなたと恋人同士でいられるのも、あと僅かですね。


でも、私はこれからあなたと夫婦になっても、子どもが生まれても、ずっと恋人同士でいたいです。


私はとても臆病で、今まであなたを試すようなことを何度もしたけど、あなたはその度に私に手を差し伸べてくれました。

私はそれがとても嬉しくて、人を信じてもいいのだと思えました。


約1年間、本当に色々なことがあったけど、あなたがいてくれたから生きてこられたのだと思います。あなたは、私をこの世に繋ぎ止めるために神様がくれた、蜘蛛の糸みたいなものだったのかな。決して切れない蜘蛛の糸。


これからもお互いに、

甘えたり甘えられたり

頼ったり頼られたり

支えたり支えられたりしながら

一緒に歩んでいきたいです。


エキセントリックな娘ですが、末長くよろしくお願いします。


心からあなたを愛してるよ。


ねこまんま


脳の中のメモリーカード

人は、人生のほとんどを忘れてしまう。


幼い頃の失敗や恥ずかしい事なんて、ほとんど覚えていない。

覚えていたとしても、それは不確かな印象で、事実の詳細を覚えているには、余程強烈な出来事でなければならないだろう。


それに、事実というのは他人が覚えていなければほぼ意味はない。いじめられた方が覚えていて、いじめた方は覚えていないというのはよくあることだ。


少し例が重くなったが、人は生きていくために脳が忘れる構造になっているのだと思う。

あらかじめ特別な人間を除いて一般的な健常者は人生で覚えていられる容量が決まっているのだと思う。何キロバイトというように。


そしてそれは決して多くないのだろう。なぜなら私は今まで二十何年間かを生きてきて、そのほとんどの日常を忘れているから。


それならば、


それならばできるだけ幸せな出来事を覚えていたいと思う。人生には辛いことも理不尽なこともあるが、楽しいことや嬉しいこともあると思う。その数をくらべるより、ポジティブな出来事に記憶をフューチャーしたいと思う。

ネガティヴな出来事をずっと覚えていたら、その分楽しい事を覚える容量が減ってしまう。勿体無い。

私は今まで、楽しいことや嬉しいことをいっぱい経験してきた。婚約者もいて、進行形で幸せを感じている。


ネガティヴな記憶を、幸せな思い出で上書きしていこう。怒りや恨みなんて、持っていて良いことはない。そうすれば、自分が恵まれていることに気づくはず。


私は今のままで、十分幸せを感じられる人なのだ。

(泣)

頭いたいよぅ

相変わらず寝起きが悪い。眠たいのに起きる。そんな感じ。


お薬増えました。増えたと言っても回数が。

抑肝散を朝も昼も飲みます。悪夢は見なくなったような…


でも夢は見ます。たくさん見ます。面白いのはいいけどね。でも寝覚めを良くしてくれ


お風呂のとき頭揉んだら多少気持ちいい。寝るときもおでこマッサージしてる。おでこと眉間が凝ってる。どーゆーこっちゃ。


マウスピースもなー。したくないけどなー。しないと歯がなくなるからなー。でも、口開けっぱで息ができなくなって起きるのやだなー。


夜中に目がさめるのも嫌だよう

まだ寝てたいのに、真っ暗なのに一人で目がさめる。辛いよう


私は寂しがりなんだよう。一人にしないでくれ。なんでもしますから(なんでもするとは言ってない)


お腹も痛いよう、喉も痛いよう、このまま脳が溶けてなくなったらどうしよう。うえーん


お昼ご飯食べて、図書館行くよう。しくしく

しんぽ

恋人の戦いが終わった。

本当にお疲れ様。自分で険しい道を選んで、それを全うしたね。

何かを目指して頑張る恋人の姿はかっこいいです。それを素直に応援できない(寂しいから)私はちょっとダサかったね。

私に邪魔されながらよくがんばった。今私にできることは、彼の勇姿を讃えて癒してあげることね。今度会ったらハグしてあげよう。いつも以上に。


さっき思いついたんだけど。昔の私はHELPを槍みたいな形で周りに出してたのね。それも近しい人に。「助けて!助けて!!」って言いながらグサグサ刺してた(笑)。痛いよね。

今でも昔の気持ちや言葉は出てくるの。自動思考だから、反射みたいなものね。「む?」っと思ったことに対してポッと「何で私がそんなこと言われなきゃいけないの!!」みたいな感じで槍がニョキッと出てくる訳。

昔はそれを刺してたんだけど、今は、「それ刺さなくてもいいよ」って言えるようになった。っていうか、やっと昔の自分が「助けて!!」って言ってたんだなって分かってきたんだな。自分の思考を客観視できるって、なんか、気持ちいい。

だから今は、槍は出てくるんだけど、「いいよ」って言うとスッて置く。これを繰り返していけば、槍も出てこなくなるんじゃないかな。


この間も、恋人がいつもより早く帰るのが寂しくて(と言っても18時過ぎ)、悲しくて泣いてしまったんだけど、「あぁ、自分は一人で寝るのが寂しいんだな」って認識できた。感情がぶれてる中で、私が自分の気持ちを認識できるのはかなりの進歩。結局恋人を少し足止めしてしまったけどね。でもなんとか笑顔で送り出せた。恋人ありがとう。


自分の進歩を素直に認められるって気持ちいいな。過大評価でも、卑下でもなく、そのままを受け止めるって気持ちいい。久しぶりだ、こんな気持ち。


明日は何をしようか。ウォーリーが見たいんだよね。ウォーリー探したい(笑)。図書館に行こうかな。


それでは。

全ての行動は自己満

全ての行動は自己満足である。


アイスを食べるのも、人に何か贈るのも、人に気を遣うのも、仕事をするのも。


完璧な他己主義は存在しない。


そう考えると、「せっかくしてやったのに!」という不満は生まれないはず。


全部自己満足なんだということを意識して生活すれば、やりやすいよね。