エキセントリック花嫁

遠距離新婚さん

悲しいお話

真季は昔からずっとショートヘアーだった。

サバサバした性格が女子に人気で、そういうところが俺も好きだった。同じ漫画のファンだった俺たちは自然と話すことが増え、ふたりきりでも過ごすようになった。7年間の交際ののち、俺たちは苗字を同じにした。そして今年、真季が妊娠した。


俺の出張が決まったあと、妊娠はすぐに発覚した。出張といっても半年間ある。単身赴任みたいなものだ。学生時代から遠距離恋愛が続き、やっと一緒に住めるようになったかと思えば、そんな生活は1年しか続かなかった。新人の宿命か。

「別にいいわよ。これからずうっと一緒にいるんだし」

と、真季は笑った。本音を隠して笑うのが、彼女の癖だった。本当は、初めての妊娠が怖いのだ。見た目のために誤解されることが多いが、彼女は思ったより脆く、弱い。それを含めて、俺は真季が大好きだった。


妊娠も7ヶ月目に入った頃、真季の幼なじみがお祝いに来たいと言い出した。出発の前日だったが、真季の嬉しそうな顔を見て、「いいよ」と言った。これから彼女には寂しい思いをさせることになる。できるだけのことはしてやろうと思った。

「ごめんね、急に。たまたまこっちに来る予定があってさぁ」

会いに来たのは男だった。詳しく聞いていなかったのだが、勝手に女友達だと思い込んでいた。学生時代から友だちの多かった彼女のことだ。仲のいい男友達くらいいて当然だろうと、気にしないことにした。

彼は槇山と言った。幼なじみといっても、幼稚園時代に一緒だっただけで、その後大学のサークルで再会したのだという。そんな話は一度も聞いたことがなかった。昔、俺の嫉妬が原因で別れ話に発展したことがあったから、真季も控えていたのだろう。しかし、なぜ今になって?

「これが真季の旦那さんかぁ。いやぁ、いい男捕まえたなぁ」

笑いながら、男が真季の肩を小突く。真季も微笑みつつ、照れ臭そうにしている。「真季」ってなんだ。呼び捨てか。胸の奥に、ピリッと小さな嫉妬が疼く。

男は真季に妊娠祝いを渡し、想い出話に花を咲かせ始めた。もちろん俺の知らない話だ。食事に集中しつつ、耳を傾ける。

「でもさぁ、大学ん時とか、俺と結婚したら…ってよくからかわれてたよな」

「そうそう、“まきやままき”になるって…」

ガタン!

瞬間、反射的に立ち上がっていた。二人がびっくりして俺を見上げる。

「どうしたの?」

「ちょっと…コンビニ行ってくる」

思いつきの言い訳を残し、俺は家を後にした。それ以上、あの空間にいられる自信がなかった。俺の知らない男が、俺の知らない真季の話をしている。それだけで腹が立って仕方がなかった。

“コンビニってセブン?アイスも買って来てほしいな”

何も察しない真季のメールにも苛ついた。本当に子どもだったと思う。その夜はホテルに泊まり、そのまま俺は出張へと向かった。


“槇山くん、もう帰ったよ。どこまで行ってるの?”

“明日出発でしょ?大丈夫?”

“先に寝てるね、オヤスミ”


俺は真季からのメールに返信できないでいた。真季はいつもと変わらない態度だった。そういえば、真季が狼狽えた姿はあまり見たことがない気がする。あるとすれば、俺が別れを切り出した時と、お義母さんが亡くなった時くらいか…。黒い服を着て、項垂れる真季の姿が浮かんだ。その翌年、俺たちは結婚した。


“昨日、帰って来てないの??荷物足りてる?”

“何かあったら連絡ください”


出張に来て一週間が過ぎたが、相変わらず返信はできていない。当初の予定では週一で帰るつもりだったが、このままでは合わせる顔がない。きちんと謝らなければ…。


そうして行動に移せないまま、また一週間が過ぎた。ある日、途絶えていた真季からのメールが急に届いた。いつもとは違う文面に、俺は釘付けになった。


“お疲れ様。今日の調子はどうかな?

たっくん、槇山くんのこと怒ってるんだよね。ごめんね。きちんと説明してなくて。


私ね、槇山くんのお兄さんのことが好きだったの。初恋だった。でも、彼、持病を患っていたの。それはとても重くて、現代の医療では治せないものだって。離れてからも、ずっと手紙でやり取りしていたんだけど、ある日、弟から返信が来たの。彼、亡くなっていたのね。死ぬ前日まで手紙を書いていたって。それから、槇山くんはずっと私のことを気にしてくれてるの。思い出したくなくて、でも、たっくんには紹介しておきたかった。私の大切な人だから。”


職場のビルの出入り口で立ち尽くしたまま、メールを読んだ。真季からこんなに長いメールが来たことはなかった。無言でスマホをスクロールし続ける。


“たっくんに嫌な思いさせてごめんね。帰ってくるの待ってるよ。”


俺はすぐさま電話をかけた。今すぐに会いたい。会って謝りたい。しかし、出たのは槇山だった。


『もしもし?真季の旦那さんですよね?あぁ、やっと繋がった…』

なんでお前が出るんだ?真季は?と矢継ぎ早に質問すると、思いがけない答えが返って来た。

『何回連絡したと思ってるんですか!?事故に遭ったんですよ!今も意識が戻らないんです!!』

何を言ってるんだ?事故?誰が?様々な疑問が頭を駆け巡った。あまりの多さに、脳が情報を処理できずにいた。

『車に轢かれたんです!!あいつ、あんまり眠ってなかったみたいで…。意識不明の重体です!!もしもし?聞いてます!?』

電話を切る前に、タクシーに飛び乗った。







死に目には間に合わなかった。ただ、事故あったというのに、真季は綺麗な身体をしていた。漫画に出てくるような、本当に綺麗な顔だった。

奇跡的に、胎児は助かったという。未熟児のケースに入って、一生懸命息をしている。名前の欄は空白だった。


「まき…」

ふたりきりにしてもらって、真季の手を握る。なぜか暖かいような気がした。

「ごめん、俺、取り返しのつかないことを……」

二度と届かない言葉を繰り返す。真季はただそこに、静かに横たわっていた。

もう謝ることもできない。手を繋いで歩くことも、抱き合うこともできない。一緒に笑いあったり、漫画について語り合うことも。

悔しくて、悲しくて、涙が出て来た。同時に、俺たちの子どもに会えた嬉し涙も出て来た。感情が溢れて、訳が分からなくなっていた。それくらい、真季に戻って来て欲しかった。


真季は脆く、弱い存在だった。でも、人間なんて焼けばみんな煙になってしまう。人間自体が、元々、弱い存在なのかもしれない。そんなことを考えながら5年ぶりの煙草を咥えていると、槇山が話しかけて来た。

「その節は、どうも…」

と深々と頭を下げられる。つられてこちらも頭を下げる。槇山は、彼女が重体になってから、ずっとそばに居てくれたらしい。兄のことがあったから、より思い入れがあったのだろう。物思いにふけっていると、彼がおもむろに語り出した。

「俺、旦那さんが羨ましかったです。真季が心を開ける相手って、どんな人なんだろうって。思ったより普通でした。でも、彼女には特別だったんでしょうね」

彼も煙草に火を点け、煙を吐き出す。真季と一緒に、空へ昇っていく。俺はふと、思いついたことを尋ねた。

「お兄さん、なんて名前だったんです?」

「恵一、ですけど…」

怪訝そうな顔をする彼を尻目に、頭の中で語呂を考える。いいじゃないか、“恵一”。

俺は役所へ提出する紙を取り出し、ペンを走らせた。俺と真季の赤ん坊の空白を埋めるために。


ー終ー