それとこれとは別問題
今日、私の心の中の氷の柱が1本溶けた。
頭が柔らかくなった。頭が柔らかくなると、表情も柔らかくなる。
力が抜ける。「もう、いいんよ」と、もう一人の自分が言っている。
私は職場のみんなに好かれたかった。気にかけて欲しかったし、注目して欲しかった。
でも、無条件にみんなが私のことを気にかけてくれる訳ではないし、好いてくれる訳でもない。ただ、私が誠実に向き合った人からは、その分妥当な注意が向けられることになるのだ。
もちろん、そうではない人もいるけど、問題は結局、私が「好きたいかどうか」にあると思う。
私が好きたいのであれば、その人が何をしようが「いい人」に映るし、逆であれば「悪い人」に映る。
自分が好くか否かの理由を、相手に求めていたのではないか?本当は、相手の行動なんて関係なくて、自分が好きたいかどうかでは??
そうなると、相手から好かれているかどうかは関係がなくなる。相手が好いていようがいまいが、私は好きだし、嫌いなのだ。
判断しているのは相手ではなく、私。私発信の、好き嫌いであったのではないか。
それなら、悩む必要はなくないか?相手にどうやって好いてもらおうかと、考える必要はあるだろうか?
自分が好きか、嫌いか。その判断を下しているのだ。もう既に。
だから、その感覚の共有を求める必要もない。私が好きな人が、私の嫌いな人を好いていてもいいのだ。そこに私が関連する必要はなく、捉われることはできない。
It’s not my business.
それとこれとは、別問題なのである。そういうことが、世の中にはたくさんたくさんあるのである。