小説風
暑いなぁ、とねこまんまは思った。
一昨日から蝉が鳴き始めている。遠くに浮かぶ雲も、すっかり夏の形だ。
ねこまんまは毎年、このどちらかで夏を感じていた。いや、気温的には一ヶ月以上前から十分夏なのだが、風流的にはやはり、目や耳から夏を感じたいのだ。
ねこまんまが夏といって思い浮かべるのは、自身が小学生だった頃の風景だ。暑い日差し、うるさい蝉、皮がむけた肌、必死で漕いだ自転車。
いつも決まってたむろするのは駄菓子屋だった。もう、あのおばあちゃんも早くに天国へ行ってしまった。
これからも風景はどんどん変わっていくだろう。自分が小学生だった頃の、日本の夏はもう来ない。しかし、それでいいのではないか、とも思う。二度と来ないからこそ、焦がれる時代でもあるのだから。
ねこまんまは今年、妻になった。いずれ子をもうけたいと思っている。子どもにもいずれ、その子だけの夏が来るのだ。そして性懲りも無く、「お母さんの時代はね」などと話すのだろう。
夫とは、一緒にいられる時間が短い。私たちは、出会うのが少しばかり遅かったのだ。だからこそ、会える今を大切にしなければ、と思う。後悔はもう、したくないのだ。
今年も夏が来た。おかげさまで、二十数回目の夏を迎えることができた。これからは、夫も一緒だ。あと、何回夏を過ごすことができるのだろう。
そんなことを考えながら、クーラーの効いた部屋で、スイカバーを齧る。西瓜は嫌いなのに、スイカバーは好きなのだ。私にはいくつか、そういう所がある。
毎日決まって出かけなければならない用事もなくなって、体力は衰えていくばかりだ。夏バテなのか、他の理由なのか分からないが、これ以上自身の身体に脂肪をつけることだけは避けなければいけない。
もうすぐ、水着姿になる用事もあるのに。と、ぼんやり戒めつつも、やはりスーパーでポテトチップスに手が伸びてしまうねこまんまなのであった。
夏限定の梅味は、今しか食べられないのである。